私の推しは私

 

 

 

わたしの推し」というテーマで文章を書くにあたって、思い浮かぶバンド・アイドル・作家などなどが多数いるにも関わらず、彼・彼女らを「推し」の一言でくくるにはあまりにも重い重い粘度で高すぎる熱量を燃やしており、最終的に「私の推しは私」という結論に落ち着いた。

 

私は自己肯定感がイジョーに高く、その理由は、存在しているだけで喜んでくれる人々がいるからで、なんというか、自分で築いたわけではないのだよね。

 

まあそんなわけで「私の推しは私」なんですが、最推しポイントは黒髪のショートヘアですね。

たいへんシンプルな髪型で、例えるならエドワード・ファーロングみたいな感じで、今時の言い方だとハンサムショートというのですが。

それが似合うのなんのっつー話です。

 

先日、「人生で初めてショートヘアにしてみたらば本当に似合っていてお気に入り」と申したら、祖母が今まで見たことのない様子で笑うので、これはどういう状態なのか? と母に尋ねたら、「苦笑」とのことだった。

母は「髪型がね、似合うというのは、自分から言うものではないのだよ」と続けた。

今後人前で話す際には気を付けます。

 

それにしても、世の中の人は、自分の髪型すら自分で似合うと言えないような暮らしをしているのですね。

悲しくないですか? 私の自己肯定感がイジョーに高いからそう思うだけですか?

自己愛が強いと言われればそれまでだけれども、ここまでくるのに紆余曲折ある人生でしたよ、一応ね。語るほどではないですが。

 

なんにせよ、私にとって「推し」という軽やかさでマイルドに語れる唯一の人間は自分なわけです。

 

生を受けたと同時に視聴したアニメやこの半生を捧げしバンドに、なんという言葉を当てはめたらいいんでしょう。

持てる最大の言語を用い多大な時間を費やして、あれやこれやと文章を紡ぐのも、なかなか乙かもしれません。

しかし残念なことに、私はそれらを持ち合わせてはいないのだよね。

 

なにはともあれ、「推しとは」というのをうんうん考えて、「あ、自分だわね」と着地するこの考え方やら生き方は愛すべき資質であるんじゃないかしら。

みんな同じようになれとは思わないけど、人生に取り入れてみてはいかがでしょうと、無責任にそう言ってしまいたくなるような事象が、この世には多々ありますね。

「戦うほどではないけど、どうにかなんないかなぁ」という事象、本当は戦うべきなのかも、とふっと脳裏をよぎっちゃって大童。

 

まあこのテーマで「推しは私です」なあんていうブログは山ほどあるんでしょうけど、一筆したためてみたんでした。