『海王星』に於ける《運命》と《神さま》

 

 

 

続々・『海王星』のこと。

 

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パンフレットを読んでいて、《運命》をキーワードに役に挑んでいる演者が多い気がしました。

 

海王星』に於いて、その《運命》を操るのが《神さま》です。

 

元の戯曲に “神さま役” はありませんが、劇では音楽監督の志磨さんが《神さま》として登場します。

 

志磨さんが《神さま》として舵取りをした中で、最も印象的なシーンがあります。

猛夫が毒を飲み、死にゆくクライマックスで、 ただ立ち尽くす志磨さんにスポットライトが当たっています。

そして、猛夫の命が尽きた瞬間(私の記憶が正しければ)(もしかしたら最後の魔子のセリフのあとだったかも)、ゆっくりとギターを持ち、 “衝撃” をそのまま音にしたかのようなノイズを鳴らします。

このシーンでの志磨さんの存在感を表す演出は、この音楽劇に於いての音楽の立ち位置を示すものとして記憶に残りました。

 

また、そばかすが《神さま》に未来予知を祈るシーン。

「お願い、神さま!」と言ったあと、女学生たちに未来を見せるその時にも音楽が流れます。

 

《運命》を司る大きな要素に音楽(=《神さま》)を使う演出は、今回独自のもの。

 

 

 

「親子の仲は神さまがお作りになったとしても、恋人の仲は自分の手で作ったもの」という那美のセリフに、寺山さんがこの戯曲で表現したかったものが一番含まれているように思いました。

他にも登場人物による “縁” の持論から、寺山さんの哲学が伺えます。

 

魔子との駆け落ちを決意した猛夫が、図らずも彌平の計画によって毒死し、一家心中することになる展開は、その後の寺山作品にもある “親離れ” という大きなテーマに繋がっていそうです。

 

 

 

これまで三度に渡って考察を書いてきました。

ものすごく考察しがいのある戯曲でした。

 

寺山さんの意図を知りたいです。

当時の企画書などにそういった記述は残っているのでしょうか。

気になります。

 

 

 

最初の記事にも書きましたが、『家出のすすめ』に「男が夢の中で女の人のお尻に触ったことを起きてから謝りに行く」という話があります。

寺山さんの見解は、「夢の中でしたことを起きてから謝りに行くな!」でした。

 

もしかすると、その他のエピソードについても、寺山さんの作品をあたったら答えがあるかもしれません。