占い師に「あなたは前世でろくに働いていないので、目的もなく今の会社を辞めると引きこもりになるだけ」と言われた。
文章を書くという目的はあるのだが、と話すと、「どんなジャンルの何について書くのか? それで現在稼げているのか?」などと矢継ぎ早に質問され、ほとんどラップバトルの要領で返答した。
最後に、「そもそも、才能があればもう芽が出ていてもいいはずの年齢」とピシャリと言われた。
20代が終わろうとしている。
才能がある人はもうなにがしかの賞を受賞したり、インターネットでバズっていたりしてもおかしくない年頃ではある。
私の考えが甘いのは認めるが、そんなに強い言葉を使わなくてもいいんじゃないかと思う。
私の前世のひとつに『書生』というのがあるらしい。
書生という生き方はたいへん憧れる。
尊敬する人に師事し、興味のあることに没頭する生活がしてみたい。
そんな前世を持っているのなら、今世でもそんな生き方ができるのではないか。
そう尋ねたら、占い師は「あなたは社会との繋がりを断たないほうがいい」と譲らなかった。
彼女には私の何が見えていたのだろう。
文章を書くことは、私にとって「逃げ」であることは確かだ。
家で文章を書くことで、生計を立てられたらどんなにいいだろう。
生活ができるほどでなくても文章で収入を得、会社員の仕事を減らしたいわけだが。
働きたくないわけではないが、すこし休みたい今日この頃である。
身体が弱く、もう限界が来ている。
通院しながらなんとか働いている。
心を病んでいること、ストレスで胃が悪く、円形脱毛症になっていることを会社に伝えたほうがいいのかもしれない。
これまで休み方を教わらなかったように思う。
どうすれば休めるのかすら分からない。
私は頭が悪く、あまりにも夢見がちで、そして社会は難解だ。
ヘラヘラしていたら、占い師にも同行の友人にも「働け」と注意された。
しかしこう見えて、私は今の会社に勤めてかれこれ10年近くになる。
真面目に正社員としてやってきた。
責任のある仕事も任せられている。
信用が厚すぎて辟易するくらいに。
向いている、というのは分かる。
疲れているのかもしれない。
これまでの人生、ずっと「休みたい」と思いながら生きて来た。
気付いたら学校に入れられ、言われるがままに就職した。
考える暇がなかった。
敷かれたレールの上を走るように、離脱しないように生きるのがやっとだった。
もうレールはなく、誰からの指示もなく、自分で考えなくてはならない。
才能がある人は、とっくに自分の頭で考えてレールから外れて生きているのだろう。
私には才能がないわけだが。