昨日は、毛皮のマリーズの解散ライブからちょうど10年だった。
田舎の高校生だった当時、武道館に足を運べず悔しい思いをした。
ライブにも行けないこんな田舎からおさらばするぜ、と都会の大学へ進学を決めた。
しかし、もう毛皮のマリーズのライブには行けないのだ、という悲しさが残った。
大学に無事合格し、自由に過ごしていた高校生活最後の12月。
自宅のパソコンで「毛皮のマリーズ」と検索していたあの日々を思い出す。
冬の寒さ、電気ストーブのぬくもり、謎のカウントダウンを続けるホームページ。
武道館公演のあと、2ちゃんねるかなにかに、志磨さんが「解散しやんとこかな」と言ったが、「しやん」という方言が通じず、会場がシーン……となっていた、と書いてあったことを覚えている。
最近、そのライブへ行った人に話を聞くことができたのだが、「方言がなんとかっていうより、そもそも声がちっっっっっさすぎてなにを言っているのかあんまりよく分からなかった」とのことだった。
若い時代にリアルタイムで毛皮のマリーズに触れた人間は、みんな特有の重い重い愛情(愛憎と言っていいかもしれない)を抱いているようにみえる。
私もそのひとりだ。
10代が持つ怨念と毛皮のマリーズの相性が良すぎた。
なにもない田舎で鬱屈としていた若人にとって、毛皮のマリーズは希望だった。
この泥みたいな人生を変える方法を見せてくれるバンドが毛皮のマリーズだと思っていた。
だが、メジャーデビューしてすぐに解散してしまった。
なによりも「美しい終焉」を見せてくれた。
それは「人生を変える方法」なんて私が想像していたちんけなものより、もっともっと素晴らしかった。
凄まじいバンドを愛してしまったな、と思う。
志磨さんは毛皮のマリーズを解散してすぐにドレスコーズを結成した。
私ははじめ、ドレスコーズを静観していた。
“毛皮のマリーズ” の熱心なメイニアは、すぐにドレスコーズに飛びついた人々に「志磨のやることならなんでもいいのか? 」と言っていた。
気持ちは分かるが、志磨さんのやることはきっと面白いことに違いない、という確信もあった。
あの毛皮のマリーズを作った男、そして、毛皮のマリーズを殺した男。
毛皮のマリーズで空いた穴は、たとえ志磨さんのバンドでも、埋めることはできない。
見届けよう、という気持ちだった。
いまだに「いちばん好きなアルバムは『Gloomy』です」と言う20代になってしまった。
案の定、ドレスコーズも愛してしまっている。